尊厳
日本は急速に超高齢化時代に突入し、『人生100年時代』をテーマに論じられています。

平均寿命では女性は87.14才、男性は80.98才と世界でも長寿国となり、介護・緩和治療など対処方法など国家としても問題山積です。

参典〖厚生労働省平成29年簡易生命表の概況〗

人の死を考えたとき、そこまでのプロセス、如何なる生き方、いかに死にその死にざま。

人間の人生そのものです、医療の状況・国家の法律(民法・刑法)・道徳/宗教/哲学などからの心理学的要件などあらゆるものが絡んできます。

葬儀アドバイザー 佐々木葬儀アドバイザー 佐々木

わたくし葬儀の先生といたしまして、危篤・臨終の場面を数多く経験し、残されたご遺族の状況もつぶさに拝見してきました。死そのものから見た尊厳死・安楽死をお話しさせて頂きます

この話題に触れるという事は、どなたかが老齢で病気を発症している(年齢の問題でない場合もあります)、介護の状態にある、事故で意識の混濁があるなど、死に直面している方がいらしゃるという事でしょう。

死を意識したとき、素直に受け入れられる方、受け入れられない方、状況は様々でしょう。

慰めてもどうなるものではないでしょうが、言えることがあります。

悔しい思いはぬぐえませんが、寿命の長短ではなく、いかに満足のいく人生であったか、いかに家族(友人・知人・人と触れ合う環境)に恵まれたかです。

金銭も大事ですが、それ以上に大切なものを感じ取れたかです。自分が置かれた環境を十分享受できているかですね。

尊厳死の概念

尊厳死

このページでは、法律的な事、倫理的な事など専門的なことは、横においといて、一般論として、亡くなったかたを沢山拝見したという観点で進めさせていただきます。

人間の尊厳とは、なんびとも冒さざるべきもの、個人の尊厳は、法理原則からも守られる人権であり、平等権であります。(日本国憲法の名のもとに)

故に個人の尊厳を守るという事は、他人の尊厳も冒してはならないという事です。

今死に直面されているあなたにとって、尊厳ある死にかたとは如何なるものなのでしょう。

緩和ケアでは、生命を脅かす疾患に対し問題に直面する患者とその家族に痛みやその他の身体的、心理的な問題、

さらに倫理的(宗教的、哲学的なこころや精神)な問題を早期に解決するため、的確な評価と処置を行うことによって、 苦痛の予防や和らげることを目的とします。

人生の質、生活の質の改善を図る行為である

無意味な延命行為の拒否については、実際に死を迎える段階では意識を失っている可能性が高いため、事前に延命行為の是非を宣言する必要があります。
消極的な死にかたともいえます。

安楽死の規制

安楽死人間は生きるために、動植物を殺傷しなければならない、この殺傷に対して、苦しみを感じさせない方法(技術)で実行しているから動物も魚類も安楽死ですと説明する。

私は牛にも魚にも為ったことが無いので、苦痛を感じたか否かは分かり様がありません。

人間が死にたいと願ったら薬物などで意識をなくし苦痛のない状態で死に至らしめる行為。

この考えに是か非かの答えを求めようとは思いません。

そう願った原因が何であったのか、絶望的な病状、介護生活で破壊される家族の生活、治療薬のない病気、意識があっても一生寝たきり。

違った要因では、経済苦、家族不仲、定年後の苦痛、いじめ、ノイローゼ、うつ病、ガンの宣告、など

しかしこれらの要因は他人から分からない点が多すぎます。誰が判断できるのでしょうか。

自殺にも似た行為も含まれてきます。どこで線引きをすればよいでしょう。

線引きなどできないから、日本では安楽死を一切承認せず否定し、介助したものを殺人容疑として取り締まるのです。

〖積極的な死にかた〗
いま世界的に、己の命を粗末に扱い、テロという名の自爆を行い、天国に行く夢を抱く若者がおります。

他人の生命を軽んじるものが、尊厳ある生き方とは到底思えない、どこの宗教であろうと命を軽んじる教義はない。

人間のエゴによる解釈を加え、ご都合主義に走った結果でしょう。

終末期医療

終末医療

昭和から平成の時代の言葉で、寝たきり老人・植物人間などの言われかたをしていた、終末期医療。

医学の発展とともに、出来る限りの医療技術を駆使して、死なせない医療を目指した結果、皆保険の影響もあり、日本は世界屈指の長寿国になりました。

しかし世界的に見れば、長寿だけでは高い評価にはならない時代になりました。

世界が評価する基準は、健康寿命です。近年日本でも、積極的だはない,消極的尊厳死を取り入れてきております。

何が何でも延命治療を行うのではなく、意識がある時の本人の宣言(本人の意向を証明できるもの)家族の意向をなどを得て、確率の低い手術や放射線治療の放棄。

また当事者の意見として、無駄に見える治療は拒否するが、痛みだけは省いてもらいたい。

尊厳に対する法律の壁も徐々に低くなりつつあるのかも知れません。

反して超高齢化による交通事故が頻繁に報告されていますが、当の老人は、老人の自覚がない現象もあります。

事故は困りますが、運転できるほど元気である証明にもなります。

痴呆症・寝たきり・完治不可能といつた症状にはもう少し踏み込んだ議論が必要かもしれません。

終活がもたらす副産物

元気な人たちのなかで、死を自覚した高齢者が終活という名のもとに、断捨離・エンディングノートなど身の回りを整理する風潮が広まっております。

これは体力があるからできる作業であり、意識が充実しているから可能ならしめる現象です。

すぐに死ぬとは誰しもが思ってもいません。すぐに死ぬような人にはできない仕事でしょう。

昭和生まれの方達は、一つ片づけるとこれもあれもとなる傾向があるようです。基本働き者なのかもしれませんよ。

断捨離が終了すると、身も心も軽くなるのか次なる目標が発生するようです。

誰のためでもない自分のための無理をしない断捨離・エンディングノートの作成は、死に向かう日々ではなく、残された時間を謳歌しなければ損だとなるようです。

生きて楽しむことに貪欲な生活の過ごし方になるので不思議です。高齢者が元気になったことは家族にとっても悦ばしい出来事です。

死を自覚する本当にいい機会で、笑いながらできる終活運動に家族も協力してみてはいかがですか。